【八千代市】八千代台の顔「APIA」が3年がかりの大規模リニューアル・耐震補強工事完了!歴史とともに、未来へ
昭和38年(1963年)の開業以来、八千代台駅前の「顔」として地域に愛されてきた老舗ビル、アピアビル(旧・八千代デパート)。この度、約3年間にわたる大規模な耐震補強・リニューアル工事が完了し、温かい思いが込められた記念式典が開催されました。

このビルの歴史は、創業者である先代の挑戦から始まります。昭和37年、タクシー業を営んでいた創業者は、全くの素人ながら運転手さんや整備士さんを連れてデパート事業を開始。当時の八千代台は松林が多く、開発途上の地域でしたが、昭和30年代の高度経済成長期に大規模住宅団地の発祥の地として急速に発展し、人口が増加する活気ある街へと変貌を遂げていました。

画像提供:株式会社APIA
流通ルートもない中、創業者は自ら東京の名店街までお菓子を仕入れに行くなど、一つ一つ道を切り開いていきました。毎朝365日、ワイシャツを着て真面目に仕事に取り組むその姿勢は、なかなか真似できるものではありません。そして、事業の成功と共に、市民会館への多額の寄付と緞帳の寄贈、図書館への図書寄付、近隣小学校への楽器の寄付など、地域の施設づくりに尽力。八千代市の発展に大きく貢献しました。こちらの写真は当時の市民会館外観です。フェンダーミラーの車が、時代を物語っていますね。

画像提供:八千代市地域振興財団
当時の緞帳の写真も、八千代市地域振興財団さんが見つけてくださいました。「八千代デパート」の文字がありますね。懐かしく思う方も多いのではないでしょうか。

画像提供:八千代市地域振興財団
アピアビルは、昭和49年に現在のビルが建設されましたが、旧耐震基準であったため、東日本大震災を経て耐震補強の必要性が明確になりました。リニューアル前は老朽化が激しく、雨漏りが発生しテナントに大きな迷惑をかけるなど、深刻な問題を抱えていました。その老朽ぶりは、工事を請け負う業者さんも最初は「再建する価値あるかな…」と不安になるほどだったと言います。

鬼頭社長は、ビルを壊すか残すか深く迷った末、父である先代が創り上げた「八千代台の象徴」であり、地域に愛されてきたこのビルを守りたいという強い決意から「再生」を選択しました。

このプロジェクトの最大の特徴は、「営業を継続しながらの工事」という極めて高い難易度をクリアした点です。
- 全面ガラス張りで従来の工法が適用できない。
- テナントの営業を止めずに、建物全体の耐震性能を向上させる必要がある。
- 50年前の旧法で建てられた建物を、現行の建築基準法・消防法に適合させる必要がある。
山積する難問に対し、社長の強い思いと、それを具現化する多岐にわたる企業の高度な技術力と協力体制により、見事、新生ビルの落成式を迎えることができました。

鬼頭社長が「見て欲しいところがたくさんある」と語るこだわりのリニューアル後のデザインは、APIAの歴史を尊重しつつ、現代的な感性を取り入れています。

- 洗練されたグレートーン: 世界的な潮流に合わせたモノトーン仕上げのグレートーンを基調とし、老舗ビルにふさわしい落ち着きとモダンさが両立されています。壁面の案内版はデジタルパネルですっきりした印象に。

- テナントとの調和: 新しいデザインは、既存テナントとの調和を考慮し、バーガーキングの壁面のオレンジ色などもアクセントとして活かされています。このバーガーキング、3階に店舗を構えるのはとても珍しいことなんだそうです!

- 駅との連絡通路: 改修された駅との連絡通路は、想定を上回る美しい仕上がりとなり、早くも来訪者の撮影スポットとして人気を集めています。

記念式典で語られたのは、技術的な偉業だけでなく、APIAがこの地域にとって単なる商業施設ではない、心のよりどころであるという温かい思い。鬼頭代表は現在74歳ですが、「この新しいビルと八千代市のためにも、皆様にもお力添えをいただきながら5~10年は運営を継続したい。」と力強く表明。

八千代台駅前の活性化に貢献し続けるという地域社会への強い想いを抱いています。今後は、来年春までに残工事を完了し、全テナントの営業再開を目指すとともに、地域活性化への継続的な貢献活動も進めていきたいと語りました。

耐震性を高め、美しく生まれ変わったAPIAビル。八千代の歴史を抱きしめ、また新たな半世紀を地域とともに歩み始めます!

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